山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
夏目漱石は「草枕」をこんなふうに始めた。
古代ギリシャのアリストテレスの学派は「逍遙学派」と呼ばれる。
彼が散歩しながら考え、議論し、講義をしたということからきている。
京都の銀閣寺から南禅寺に続く「哲学の道」は、かつては哲学者や思想家がよく散策した道だということだ。
近年では、アップルの創始者スティーブ・ジョブズも少人数での「歩きミーティング」を好んだという。
歩きながら考えることの効用は、古来からあちらこちらで説明されている。
辛いことや悩み事があるときは歩けばいい、という人もいる。
家の中で項垂れていては、先に進めない。
その点、歩くと人間は必ず前を向く。前向きにしか歩けない。
転ばないように下を見ながら、というのもあるだろうが、それも悪くない。
自分の足が一歩ずつ前に進んでいくのを確認できるだからだ。
何を言い出したの? はむおじさん? 大丈夫?
はむおじさんは、この春から歩くことにしたのだ。
不要不急の外出は避けろと言われている昨今。
不急であることは否定しないが、不要とは言い切れない。
家に引きこもっているばかりでは、太る一方だ。体力も落ちる。
何より、人間としてダメになっていく気がする。いや、ダメになってきている。
そこで、歩くことにしたのだ。金もかからないし。
どうせ歩くなら、何かを考えながらっていうのもいいんじゃないか。
ソロウォーキングなのでミーティングもディスカッションもできないが、シンキングはできる。
英語で言わんでもええのに。
手始めに、近場から。
新シリーズと書いたからには、一回ではやめられへんぞ。
今回歩くのは、
「山背古道(やましろこどう)」
誰も知らんか。
「熊野古道」みたいな世界遺産じゃないからな。
京都府の南部、城陽市から井手町を通って、木津川市へ。奈良の手前辺りが終点。
南北に続く、全長約25kmの道。
滅多に歩くことのないはむおじさんには、ちょうどいいんじゃないかな。
もちろん、一度に踏破するつもりはない。
25kmも一度に歩いたら、考える内容が多すぎて覚えられない。
いや、途中で体力が限界を迎えて、もう考えるどころではなくなる。
時間はあるのだ。
ゆっくり歩こうじゃないか。
いい天気だ。
空は快晴に近い。
小振りのリュックには、カメラと水筒と財布。一応メモ帳とペンも。
家のカギとスマホを持ったら、出発だ。
キャンプと比べて何と手軽なことよ。
家を出て約2分。
さっそく、考えごとが。
「玄関のカギ、閉めてきたよな。うん、閉めた閉めた」
「ん? 玄関のカギ、閉めてきたかな。」
「あれ? 玄関のカギ、ホンマに閉めてきたっけ?」
「えっ? 玄関のカギ、閉め忘れてへん?」
「どうしょう、玄関のカギ、閉めてない気がしてきた。」
約2分後、私は玄関の前に立っていた。
ちゃんと閉めとるやないの。知ってたわ。
普通、無意識でもそういうことはちゃんとしてるのよ。
でも万歩計忘れてたからな。
戻ってくる意味はあったということやがな。
しばらく歩いた。
意外に何も考えないものだ。
これといったお題が見つからない。
1年ほど前までスポーツジムに通っていた頃、よく歩いた道。
ちょっと懐かしい。
20分ほど歩いて、JR城陽駅に着いた。
ここが、「山背古道」の北の起点。
やっと起点まで来てん。
K氏か。
あ、K氏とはおっさんキャンプの仲間の駄洒落好きのおっさんのこと。
三度の飯より、三度の酒が好きという人種。
「日本酒は十五度ぐらいやぞ。」 アルコール度数の話、してへんよ。
「やっぱり酒は人肌、三十五度ぐらいが旨い。」 温度の話とちゃうよ。
実際にK氏が言っているわけではない。いかにもK氏が言いそうなことシリーズということで。
しかしここは「三度の飯より駄洒落が好き」という文脈で語るところじゃないのか。
いやあ、さすがにそれはないわ。
そんな奴はおれへんで。往生しまっせ。
実はここでまず残念なことを知る。
カメラの電源が入らん。
充電切れてたんか。全然気にしてなかったわ。
帰ろか。
いやいや、そう言わんと。
ということで、今回の写真は全てスマホでの撮影です。
まあ、何で撮っても下手な写真には変わらんけどね。
山背古道の説明。
紫の郵便ポスト。
城陽市には京都サンガの練習場があるので、かなり肩入れしている。
城陽駅前にある古墳のモニュメント。
前方後円墳の形の池になっているが、この写真ではわからん。
城陽市は古墳の町として知られている。
城陽市を歩きながら考えた。
みんな、城陽市なんて知らんでしょ。特に関西の人以外は。
関西の人にもあまり認知されてないんじゃないか。
「全国制覇の旅」で回ったときに感じたことだが、全国各地には知らない市名がたくさんある。
自分の無知を棚に上げて申し訳ないことだが、一度も聞いたことがない市がこんなにあるんだと思った。
平成の大合併によって新たに誕生した市は特に知らないが、昔からあったはずなのに知らなかった。
名前を聞いても何県にある市なのかわからない。
城陽市もきっとその一つなんだろうな。
全く別の土地で生きていたら、「城陽市?ん?何県?」っていうことになるんだろう。
名前を聞いても、京都府とは思わないだろうし。
城陽の「城」は一応「山城国」の「城」なんだが、城なんて日本中にあるもんな。
「陽」は山城の南部で「陽」の当たるところという意味らしいが、太陽の当たらん地方はないからなぁ。
「全国制覇の旅」の途中で出会った人に、「京都から来た」と言うとちょっと珍しがられることがある。
ただ、「京都のどこ?」と聞かれると、「城陽市」とは答えない。
かなり高い確率で「?」ってなるのは目に見えている。
この点、隣の「宇治市」は違う。
宇治茶が有名。宇治金時は全国的にも使われている言葉のようだ。
文学に通じている人なら、源氏物語の「宇治十帖」をご存じかも知れない。
それより何より、十円玉に描かれた「平等院鳳凰堂」は宇治市の最も有名な観光スポット。
京都市の南に宇治市があり、その南に城陽市がある。
京都と奈良のちょうど中間にあり、どちらにも五里(約20km)で行けることから、
「五里五里の里」と呼ばれていたそうな。
ごりごりくん。城陽市歴史民俗資料館HPより引用。
エネゴリくんのパクリではないと信じたい。
※気になって調べたところ、二人(?)は共に2007年(平成19年)に登場している。同い年か。
城陽市は人口約74,000人。京都府の中では真ん中ぐらいの規模。
名産品はいちじく、梅、金糸銀糸ぐらいかなぁ。
観光地は、特にないなぁ。
城陽市出身の有名人は、玉山鉄二。朝ドラ「マッサン」の主役もやった人。
世界チャンピオンもいる。ボクシングの拳四朗。世界ライトフライ級の現役王者。
メダリストもおるで。バレーボールの中道瞳。ロンドン五輪の銅メダリスト。
後は、越前屋俵太。知らん?
城陽市はこれからきっと有名になる。
今、新名神高速道路の建設がずっと続いている。これが横軸。
一方、京奈和自動車道が完成すれば京都の北から和歌山までが高速道路で繋がる。これが縦軸。
この2つが交差するのが、城陽インターチェンジになるはず。
アウトレットもできる予定。
まあ、ずいぶん先の話だけれど。
いつの間にやら、水度(みと)神社の参道を歩いている。
遊歩道っぽくなっている所も。
水度神社の「二の鳥居」。
石段を登って、
水度神社の本殿にお参り。
水度神社は室町時代に建立されたそうだ。現在は国の重要文化財。
ここを通って、鴻ノ巣山に登る。
登り口。山頂の展望台に向けて、GO!
ルートが大きく2つある。
平日の午前中だが、結構人がいる。
周囲に誰もいないところではマスクを外して歩いていたが、この道はなかなか外せない。
まあ、おっちゃんやおばちゃんのグループが多いな。
おばちゃんが一人で歩いているケースも目立つ。
その人たちを追い抜いて、ひとり旅。
分かれ道。あくまでも山背古道を歩くのだ。
立派な休憩所がある。
雨の日はここにテントを張れるな、とついつい思ってしまうのは悪い癖。張ったらあかんよ。
まだ疲れるほど登ってはいないので、休憩はしない。
花が咲いている。
アヤメかカキツバタかショウブかアイリスか。
ちなみに城陽市の花は、花菖蒲。
しばらく山道を歩く。
ここで、冒頭の写真になる。
展望台が近づくにつれて、道が少しずつ険しくなってきた。
先ほどからマスクを外しているのだが、さすがに息が上がってきた。
さすがに、というのは道の険しさを言っているのではない。
私の体力のなさの話だ。
しかもはむおじさんは、自分の呼吸器系には信頼を置いていない。
漱石が歩いた山道はどんな道か知らないが、
実際山道を歩いてみると、何か考え事をしようとは思わんな。
ついつい歩くことに集中してしまう。
智に働けば角が立つ、なんてこと、思いつきもしない。
鴻ノ巣山展望台。
ちなみに、この山頂は海抜117.9m。低っ。
展望台から見た城陽市の風景。
知らない人にはどこにでもある風景としか思えないが、市民から見ても特に感慨はない。
かなり拡大しないとわからないが、左の方には新名神高速道路の工事の様子が見て取れる。
東屋に腰を下ろし、水筒代わりのペットボトルのお茶を飲む。
常温だが、冷たく感じる。
久しぶりだな、歩いて汗をかいたのって。
薄着の体に当たる風も、いい感じだ。
低い山には違いないが、上り坂を歩いてきて見るこの眺望と、味わうこの空気。
最高だな。
ちょっと待て。
何をもって最高と言うのか。
確かに頂上だから、ここは鴻ノ巣山の最高地点だ。
でもそんなつもりで言ったのではない。
今の気分が最高だと言ったのだ。
ホントに?
最高?
どの範囲で?
今日のここまで味わった気分の中で?
それならそうかな。
何に引っかかっているのかというと、
「最高」という言葉の到達点がずいぶん低くなってるんじゃないか、ということ。
最近のことではなかろう。
ずいぶん前から、人は「最高!」「サイコー!」「サイコーでーす!」などと軽く言う。
「サイコーでーす!」はK軍のA捕手のヒーローインタビューで広まったか。
そのせいか、活躍した後のインタビューで気持ちを聞かれると「最高でーす」と答えるスポーツ選手の何と多いことか。
いや、その場面が初めて優勝したとか、キャリアハイの成績を出したとか、自己新記録を達成したとか、強敵を倒したとかなら何の問題もない。
確かに「最高」の気分なのだろう。
最も高い訳ではない場面でも「最高」と言ってしまう。
「最」の意味は薄れ、気分が高揚しているという「高」を強めに修飾しているだけになっている。
「めっちゃ最高!」と言っている女子がいた。「最高」にめっちゃとかあるんか。
「超最高」という言葉も聞いた。それまでの「最高」を超えたのね。
「最高」を超えたら、それが「最高」なのではないのか。
100mを7秒台で走るとか、フルマラソンで1時間半を切ったりしたら、確かに超最高記録と呼んでもいいかも。
言葉は使いすぎると必ず意味が劣化する。
「たいへん」「非常に」「たいそう」「とても」「はなはだ」「かなり」「大いに」「きわめて」「ずいぶん」「すごく(すごい)」「いと」「いみじう」などが古くなっていく。
「いと」と「いみじう」はさすがに古すぎるやろ。
「めちゃくちゃ」「めちゃめちゃ」「めっちゃ」「めちゃ」「むっちゃ」の仲間が使われる。
関西人の私も「めっちゃ」はよく使う気がする。
テレビを見ていると、ある芸能人の家を訪れた芸人が「めちゃくちゃ片付いてるじゃないですか」と言った。
片付いていることを表現するのに、「めちゃくちゃ」を使うセンスがすごいと思った。
「バリうまい」は九州の方言だったと聞いた。今や全国区かも。
方言なら、北海道の「なまら」、愛知の「でら」、広島の「ぶち」あたりもいずれ全国区に打って出るか。
「お世辞抜きで」とか、「誇張せずに」とかいう意味を持たせてその程度の大きさに真実味を持たせるのが、
「マジ」とか「ガチ」とかをつけるパターン。
「マジキモい」とか「ガチ(で)むかつく」とか。
「鬼」が使われるようになったのはいつ頃からか。
「鬼はやい」とか「鬼つよい」なら雰囲気は出ている。
「鬼うまい」はどうか。鬼の味、知らんしな。
「鬼かわいい」? 禰豆子か。
「鬼」が弱まると、「神」が現れる。
「神ゲー」って最初何かわからなかった。「神のごときすばらしいゲーム」なのね。
「神回」もよく見る言葉。アニメやドラマで見逃したら後悔するような特別な回のことか。
「神対応」はすっかり定着した感がある。
「神ってる」は流行語大賞になったものの、その後は流行らなかった。
「神」は「めっちゃ」みたいに、単に程度の甚だしさを表現するだけではないようだ。
「神がかっている」とか「神々しい」とか「慈しみを感じる」みたいなニュアンスがある。
悪いイメージなら「クソ」をつける人もいる。
「クソまずい」「クソめんどい」「クソ寒い(さぶい)」などなど。
「うっせいわ」にも「クソだりぃな」という歌詞が登場している。
あまり聞かないが、きっと「クソかわいい」とか「クソうまい」とかも言ってるんだろうな。
しかし、「クソうまい」はいかがなものか。
ちなみに、「たいへん」「非常に」「とても」などの副詞はそうでもないが、
「鬼」「神」「クソ」などの接頭語系は、長めの形容詞とは相性が悪い。
「鬼おどろおどろしい」「神なまめかしい」「クソ未練がましい」・・・あまり言わなさそう。
「鬼おどろおどろしい」は雰囲気出てるけど。
「神なまめかしい」女性に会ってみたい気はするけど。
「超」「バリ」「めっちゃ」「マジ」「ガチ」などは接頭語的に使うが、副詞系と言えなくもない。
これらは口語で使うこともあり、古風な形容詞に使うことは珍しい。
「超かぐわしい」「バリかしましい」「めっちゃかまびすしい」「マジそこはかとない」「ガチうるわしい」・・・聞いたことがない。
そういえば、「控えめに言って、最高です。」という表現。
最初聞いたとき(ネットで見たのかな)、なぜ控えめに言うのかわからなかった。
最高なら堂々と言えばいいのに。
でも意味はすぐにわかった。
「最高」は「最も高い」と言ってしまってるので、それ以上の気持ちを表すのが難しいんだな。
だから、「控えめに言って最高なんだから、普通に言ったら最高よりもっと上なのだぞ」と言いたいのだろう。
最初に考えた人は、なかなかのアイディアマンだと素直に思う。
ただし既にあちこちで見るようになったので、ちょっとおバカな表現に見えてしまうのは私だけではあるまい。
一時、「なんだ、ただの天使か」というフレーズ(及び類似した表現)をネットやSNSでしばしば目にした。
これはもちろん、本物の天使に向かっては言わない。(本物の天使と遭遇すれば、だけど)
「天使のようにかわいい」ということの最上級の表現らしいが、ちょっとわかりにくい。
そもそも、「天使というものは控えめに言って最高にかわいい」という前提が必要である。
つまり「なんだ、ただのおっさんか」というフレーズは、ただのおっさんを見たときにしか使われない。
例えば、ガチで超鬼クソかわいい女の子がいたとして、彼女を見て「なんだ、ただの天使か」とつぶやく心理。
この世のものとも思えぬ、いとうつくしき女子がいるが、
よく見るとやはりこの世のものではなく、天使ではないか。
特別な天使というわけでもないが、天使ならもちろんかわいいに決まっている。
普通の人間でここまでかわいいはずはないんだから。
納得、納得。
結局、この女の子、人間扱いされてませんけど。
こういった奇を衒った表現は珍しい分、使われ出すと一気に手垢が付いてしまう。
いい大人は使わない方がよさそうだ。
マスコミは「大~」「超~」「激~」「爆~」など、少しでも程度を甚だしく見せようと躍起だ。
そこまで無理しなくてもいいと思うが、大袈裟に表現することは刺激を求める時代の必然なのか。
既存の言葉でも十分役に立つと思うのだが。
いや、新しい表現を批判するために言っているのではない。
次はどんな「大袈裟表現」が出てくるか、実は密かに見守っていたいと思っているのだ。
歩きながら考える、と言うたくせに休憩して座り込んで考えとるやないの。
というか、実際に東屋で考えたのは、
「人はすぐに『最高』とか言うけど、それ以上の場面に出会ったら何て言うんやろ?」という疑問のみ。
何となく大袈裟な表現っていっぱいあるけど、『最高』と言うてしもたらそれ以上はないんとちゃうの?
続きは歩きながら考えようとしたが、そんなに簡単なことではない。
しばらく歩くと息が切れるんやから。
考えることにエネルギー使てる場合とちゃいまっせ、いやリアルガチで。
久しぶりに写真を入れておこう。
何か知らんけど、電線が通っている鉄塔。
道は下りになり、少し楽になってきた。
子どもたちの遊ぶ声が聞こえる。
かなり急な下り階段が出現した。
下り階段の衝撃が膝にくる歳になってしまった。
コロナ禍になってから、手すりなどをあまり触らなくなっている。
エスカレーターも何となく触らない。
この急な下り階段も触らずに降りた。
余計に膝にきた。
ここはどこ? って、私は知ってるけど。
城陽市総合運動公園、通称・
鴻ノ巣山運動公園。
この辺りはバンクーバー砦と呼ばれている遊具施設のある広場だ。
城陽市はバンクーバー市と姉妹都市盟約を締結しているのだ。
ただし、このバンクーバー、ややこしいが2010年に冬季オリンピックが開かれたカナダのバンクーバーではない。
アメリカ・ワシントン州にあるバンクーバー市なのだ。知らんかった。
公園の全体図。かなり広い。
道を挟んだ反対側には、体育館・グラウンド・テニスコートなどがある運動公園。
12月にはちょっとしたイルミネーションの会場になる。
正式には「光のページェント TWINKLE JOYO」というイベントだが、「ジョミナリエ」という人もいる。
元々は城陽市が運営していたのだが、現在はこんなことになっている。
ロゴスランド。
このシリーズはキャンプ要素全くなしのつもりだが、「ロゴス」と来れば、キャンプと無縁とはいかない。
プラムイン城陽。合宿などに使われていた宿泊施設。
リノベーションされて、全天候型キャンプ(室内にテントが張ってある)や手ぶらでBBQができる施設になった。
レストランもあるし、コテージタイプの部屋で泊まることもできる。日帰り入浴もできるらしい。
屋外のBBQスタジアム。最大8人✕26区画で手ぶらBBQができる施設。食材持ち込みもできる。
この日はカップルが一組だけ楽しんでいた。
写真がボケたが、これしかない。
先ほどのバンクーバー砦を始め、ローラースライダーやふわふわドームなど、子どもが楽しめる設備が多い。
こっちに行ったら山背古道のコースから外れるけど、ま、いいか。
どうせ同じ道に戻っていくんだから。
ロゴスカフェやロゴスショップがある、アイリスイン城陽。
こちらも元々の宿泊施設をリノベーション。
部屋にテントがあったり、ハンモックがあったり、プライベートBBQができたり。
ファミリー向けのキャンプ入門施設かなぁ。
キャンプの気分を少し味わえる楽しい場所、という感じのコンセプトだと思われる。
一度ホントのキャンプを経験すると、これはちょっと・・・という感じになるかもしれないが、それはやむを得まい。
ま、雨でも中止しなくていいというのは、ファミリーにとっては大事なのかな。
せっかくなので、ロゴスショップに寄ってみた。
ロゴスはとにかく大物から小物まで、その範囲がクソ広い。ここはクソを使うところやないで。
私も結構ロゴス商品を使っているぞ。
バリバリの1軍は、
ぴったりグランドシート。
以前に使っていたテントの時代からずっと使っている。
かれこれ120回以上使ったら、さすがに撥水性は弱まり、なかなか乾かなくなった。
システムランタンポールもよく使っている。
最近は滅多に使わないが、
FDコットDXで昼寝をするのが好きだった。
テント・タープなしのコットだけで寝たこともある。
使用頻度は少ないが、
あぐらチェアも予備のイスとして帯同させている。
エアウェーブマット・シングルはよく使っていたが、空気を入れるのが面倒になってインフレータブルマットに負けた。
シルキーインナーシュラフは使う場面がなかなか訪れず、1回しか使っていない。
6年前は1,920円で買ったが、今改めてAmazonで見ると5,980円になっていてびっくり。
卵が2個入る
エッグホルダーもロゴスだったんか。今なら100均で買えるらしいが。
アルミスノコもロゴスだったんか。最近使ってないなぁ。持ってることすら忘れてた。
遠赤防水防寒軽量パンツというオーバーパンツもロゴス。火の粉で穴が空きそうなので使わなくなった。
寒いときに家で履くことはある。
こうやってみると、キャンプを始めた初期の頃に買ったものが多い。
しかも、案外使っていないんだなぁ。
ロゴスはスノーピークやコールマンに比べると、廉価が売りだったはず。
国産メーカーでいいものを安く買える。
そんな感じで、ちょっと欲しいなと思ったものをよく買っていたんだと思う。
キャンプに慣れてくると、これはブランド品じゃなくてもいいなと思うものが増えた。
おしゃれのセンスがない私は、色やデザインにあまり頓着しない。
でも命や健康に関わる物には、金を掛けてもいいと思っている。
キャンプ人気が高まってきたこともあり、全く知らなかったメーカー(中華製も含めて)のものが溢れてきた。安い物も多い。
そうなるとロゴスの価格はお手ごろ感が薄くなり、ちょっと高価なイメージになってきた。
はむおじさんのロゴス離れの理由はそこやな。
でもモノはいいんだ。せっかく持っているものは使っていこう。
ロゴスショップでいろいろと物色していると、店員さんが話しかけてくれたので少しだけしゃべった。
「ロゴスの商品もたくさん持ってますよ」と言うと、喜んでくださった。
「でもあまり使ってないし、最近は買ってないですよ」とは言わなかった。
そのおかげか、新製品のカタログブックをくださった。
レインボーブリッジを渡った。ちゃんと「にじのはし」と書いてある。
ロゴスランドの正面玄関。
ロゴスやねぇという感じのデザイン。
ロゴスランドの中を歩いた分、ショートカットをしてしまった感じになった。
これで山背古道に戻ったことになる。
山背古道を示す埋め込みサイン。
もう少しくっきり見えるものあったと思うが、これしか撮っていなかった。
道の向こう側にある常光庵。この像は?
左はいかにも松尾芭蕉っぽいが、右に座っているのは誰だ?
帰ってから調べたところ、芭蕉と柿本人麻呂だった。
江戸時代の人と奈良時代の人が一緒に?なぜ?
説明を読んだが、それほどそそられる理由ではなかった。
本来ならこのあたりから、今日のコースの後半になる。
本来なら、という言い方でおわかりのように、本来の予定は志半ばで潰えた。
足の裏が痛い。
久しぶりに歩いたので、マメができたのかもしれない。
時刻も既に午後1時に近づいている。
食べるものを持っていないし、しばらくコンビニもなさそうだし。
でもここでやめたら、次に続きを歩くためにはここまでまた歩くことになるぞ。
さあ、どうする。
はむおじさんは歩きながら考えた。
やーめた。
なーんも考えてへんやろ。
実際、ここでやめて最短距離で家に帰っても30分以上は歩くことになる。
足、いたーい。
さて、新シリーズ、いかがでしたか。
「歩きながら考える」という企画の割には、あまり考えずに始めてしまった。
次回はどうしましょう。いや、やるけどね。